かつて吹奏楽部員だった

私の思い出

スローライフブラス参加予定者様はじめ、みなさまからいただいた思い出を掲載させていただいております。
ぜひお読みください。
演奏参加へのご応募もお待ちしております。

№2 1978年入部 かつぞー


今まで自己紹介で、または人から聞かれた場合、吹奏楽は中学から始めたとほとんど言ってきました。それは小学生から始めた人はあまりいませんし、小学生から始めたと言えば、すごく上手いと思われてしまうと思ったからです。

今回このような機会を頂き、改めて吹奏楽を始めたきっかけを思い出してみたいと思います。

私が吹奏楽を始めたきっかけは中1(昭和55年)の2年前に遡ります。
当時、上山小学校に通っていた私ですが、私のいた学年は8組、全校生徒2000名の県内一のマンモス校と言われていたように思います。
そして5年生(昭和53年)の時に南小学校が新設され、南小学区に住んでいた私は南小に移ることになります。
ただ最初の1年間は校舎が1・2年生の教室しか完成してなく、そこに5・6年生だけが移って来ました。

新しい校舎で学校生活を送れるのがとても嬉しかったですが、新しく吹奏楽クラブが出来ることになり、その説明会で初めてホルンに出会いました。6年生はすぐ卒業してしまうからと、私のいる5年生が対象になりました。
ピカピカ光る金管楽器に興味が惹かれ、目立つことが苦手だった私は、見たことのある花形のトランペットよりも丸くてベルが後ろを向いているホルンに目が行きました。

それでクラブに入り、今も吹いているホルンを手にするようになるのですが、小学生時代の記憶がほとんどありません。
顧問は音楽の先生だった太田怜先生でしたが、ホルンを太田先生に教えてもらったのか、外部の人に教えてもらったのか、どういう曲を練習したのかなど、全然覚えていません。なんとなく校歌とマーチを吹いたような気がするだけです。
それだけ印象に残らない活動だったのでしょうか‥。初心者だけの小学5年生の吹いた演奏はひどかったに違いありませんが、この活動がなければ中学校で吹奏楽部に入部してたか分かりません。

 中学に入学して仮入部は友達に誘われてバスケ部に行きました。それでも、ホルンの音色や別の自分が出せる感じが忘れられず、友達の誘いを断って吹奏楽部に入部しました。

小学5年生の時に南小学校が出来なければ‥、たぶん太田先生が中心になって作られたであろう吹奏楽クラブがもし無かったら‥、ホルン・吹奏楽に触れない人生を歩んでいたかもしれません。 


中学生時代の思い出は色々あります。
今回のプログラムに入っている士官候補生・バンドのための民話は最初に練習しました。
中1でコンクールに出ることが出来たのですが、その時の課題曲、北海の大漁歌はホルンが大変で、とても苦労した思い出があります。

挙げればきりがないのでこの辺で終わりにしますが、昔のように吹けなくなった現在でも自分のペースで続けられる吹奏楽が大好きです。

自分一人では聴かせることが出来なくても、色々な人生を歩んで来られた色々な方と楽器を通して一つの音楽を作り上げることが出来る吹奏楽はとても素晴らしいものだと思います。
だから私も未だに続けているのだと思います。

№1 1971年入部 相田淳一 

1959年生まれの私が現在まで楽器演奏、合奏音楽を続けてこられたのにはとても多くの恩人の存在があります。
中でも一番の恩人は私が中学一年生(1971年)のときの吹奏楽部の顧問である渋谷武郎先生であると感じています。

中学校に入学し体験入部の期間、友だちと校内を見学していた私たちを吹奏楽部のお姉さんたちが音楽室に拉致(汗)。
父親の期待もあり野球部に入ろうと思っていた私はその時からチンプンカンプンの音楽活動に突入しました。

あてがわれた黄土色のコルネットは管にひび割れがあり、それをプラ粘土で埋めてあるという、今思えば衝撃的な楽器で音出し練習。
そのうちなんとか音は出るようになったものの楽譜はまったく読めず、なにをやっているのかやらされているのかも理解できないありさまの毎日。

中一の秋に父親が若くして亡くなったことも影響して、その冬、顧問の渋谷武郎先生に退部を申し出ました。
卒業式で演奏する「ニュールンベルグの名歌手 前奏曲」を練習していたころです。

渋谷先生からは、「なんだ、やんだぐなったが!」「でもな相田!先輩からラッパ教えてもらったべ!」「恩返しのつもりで卒業式までがんばってみろ!」
納得した私は卒業式の曲を一生懸命練習した記憶があります。
そのうち演奏がおもしろくなり、卒業式での演奏に感動し、翌年には母親にねだってピカピカのトランペットを買ってもらい・・・現在に至るです。

あの時、退部を承諾されていたら私はまた別な世界を見ていたのだと思います。

合奏音楽は自分以外の人々との共同作業。
これまでも辛いことは数多くあったけど、それでもまだ続けたいと希望しているのは、代えがたい魅力と生きている充実感を得られるからだと思います。

中学一年のときからちょうど50年たった今。
できなくなってしまったことも多くあるけど、それも個々人の生きざまであろうと思います。

今回スローライフブラスでプログラムした『行進曲輝く銀嶺』と『献呈序曲』は、中学一年のときのコンクール演奏曲。
わけもわからずいやいやながらの毎日で、しかもコンクールのレギュラーメンバーでもないのに、生涯演奏したコンクール曲にあって一番記憶に鮮明です。

少年のころ部活動というシステムがあったこと、先輩方から教えをいただいたこと、つなぎとめてくださった先生の存在、その後の活動の中で支えてくれたとても多くの仲間たち。
合奏音楽と巡り合いこの歳まで続けてこられたのには多くの恩人の存在があります。
すべての恩人には心から感謝と御礼を申し上げます。

みなさんスローライフブラスにご参加ください。